7月12日。昨日の妄想から長々と。今が幸せ。

高校の次の進路を考える時、私が最初に決めたのは栄養士になる、だった。
子供の頃からずっと、ごはんやお菓子を作るのが大好きだった。
中学か高校の頃、母がいつも買っている雑誌があって、それは女子栄養大学というところが出していて、その雑誌を母よりも熟読した。そして、その大学か、もしくは別の栄養士の資格が取れる短大に行きたいと思っていた。

高校三年の夏休み、その大学を受けるには化学かなんかの科目のテストがあると知った。私は文系のクラスにいたので、理系のクラスの子に混ざって補習を受けようとしていた。

そんな時、私の人生を変えた友達のひとこと。

えー、圭子ちゃん何かそんな感じしない。
体育とかって感じ。

その友達、深く考えて言った発言ではないと思う。

でもその瞬間、私の中で何かが変わった。
あ、その手があったか!って。

で、その後見事にその方面を生業としているわけだが。

20代から30歳ちょっと過ぎまで、私は実家で一人暮らしという優雅な生活をしていた。一年の三分の一くらい。年の離れた姉と兄は結婚して家を出ていたし、父は群馬の高崎、その後は青森に単身赴任。暑い季節が来ると、母はちょっと行ってくるねーと父の所に行ってしまっていた。

自分で家の中のことをしたり、食べ物を作るという生活は楽しくて、特にごはんは必ず自分で作っていた。

状況が変わったのは、父が青森から引き上げて両親が戻ってきたとき。

今までやっていたことをすべてやらなくて良くなった。炊事も洗濯も掃除も。

なので、インストラクターの仕事をしながら調理師学校に行ってみたり、仕事を一時期すごく頑張ってみたりした。その時はその時で勉強になったし、何もかもやってくれる母の存在があったからこそ私は体調を崩さずいられたのだと思う。

でも何かが違う、と思った。

だから、仕事の仕方を変えた。

今、また料理を作ったり、洗濯したり、掃除したりしている。

一昨日、川口のデパ地下で、ビーツを売っていた。迷わず買った。ビーツを自分で調理するのは、初めて。

そうだ、これと昨日買ったフェタチーズでサラダを作ろう。クミンが欲しいなー。

色も赤紫と白でキレイなはず。

それを今日の夜ご飯に。
ここ数日キヌアがブーム。
身体が軽い。レッスン合間の軽食にちょうどいい。昨日は、ターメリックとコリアンダーとガラムマサラ入れて、あとは今旬のトウモロコシを湯がいて実を外して、キヌアサラダに入れた。それをお弁当にした。蓋を開けて、ターメリックの黄色に元気が出た。

こないだ作った梅酵素。
これは作った時の写真。
今ではすっかり茶色くなってお飲み頃。

両親も私も毎日飲んでいる。
今日、母が、あー、元気が出るわー、って言ってくれた。

にんにくのコンフィも両親のお気に入りで、
暑い日が続くから食べたい、って。
これはまだ火の通りが甘い時。
私は、気の合う人に無理やり(笑)試食をお願いしている。けど、私の料理は元気が出ると言ってくれた。嬉しい。

自分が何を作りたいのか薄ぼんやりしてたけど、なんかそこなのかなーと思った。


moving meditation life

心も身体もアナタらしく美しく を応援するYOGAインストラクターKEIKOです

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